うんどーうかい ちゃっちゃちゃちゃ
たーのしーいな ちゃっちゃちゃちゃ
がーんばーれ ちゃっちゃちゃちゃ
よーわむしなーんていーるもんか
赤勝て ちゃちゃちゃ
白勝て ちゃちゃちゃ
えい えい おーーーー!!!
●ツイッター
フォロー20人くらいだとTLに出る顔ぶれが同じでつまらないので
50人くらいまで増やしてみるつもり。
TLは追い切れないくらいがあの世界なんだろう。
つい遡りたくなるけどそこは既に過去なのだ。なのか?
よくわからないけど、まあいいか。
今日初めて「自分のつぶやきに瞬時に共感してもらう喜び」を体験しました。
ふむふむ。
●タンブラー
ダッシュボードが与えてくれる刺激と情報は、
それなりにちゃんと私好みで、意外性があって
開くのが楽しみ。
開くのが楽しみって、そうか、こういう感覚だよな、と。
むーん。
「幼稚園の自由時間、1人で遊んだ」
と言うので
「誰かに、一緒にあそぼーって誘わないの?」
と言うと
「恥ずかしいから言わない」
「全然恥ずかしいことじゃないよ?」
「やーだーよって言われたら、やだから、言わない」
相手に誘ってもらえさえすれば、うっきうきでまざるのに
自分から誘うのはいやなんですと。
きっとこの先、「遊ぼ」って言われたり「いいよ」って答える経験を重ねて
自分から「遊ぼ」って言えるようになるんだろうと思うけど
現時点での思考回路は私の本質と全く同じ。
「全然恥ずかしいことじゃないよ?」と言いながら本当はその恥ずかしさ、すんなり理解できる。
母を見て育つ部分も多かろうと
ママ友付き合いや娘のお友達作りには
こじまでの人生史上最高にオープン且つ積極的に取り組んできたつもりだったけど
(それでも人並みか)
そういうことじゃないんだねー。血なんだねー。と思った。
最近、どうも迷いがち。
20代の頃は迷ったことなんてなかったんだけど。
常に正しい自信があったんだけど。
それが若さってやつなのか。
tumblrの日記を二つに分けてみました。
テキスト日記とフォト日記。
理由は「そうしたくなった」から。
これ、もろ作為的な気がします。
tumblr、そういう仕掛けに富んだサービスのように感じます。
それに気付くことさえ、ユーザーの悦びだったり。
ツイッター
・(人のつぶやきを)見たい気分の時とそうでない時の差が激しい(自分の中で)
・削除がマナー違反だとは知らなかった
・人々が削除したつぶやきを見るサイトが人気らしい。さぞ恥ずかしいでしょう。
・やっぱり心のままにはつぶやけないなあ
・RTや#って端末によるものなんだろうか?webはつけなくてもいいのかな??と思いつつRTは入れてみている
・「なう」ってなんか言えない
・スパムにうんざり
・foofmemoは重宝。
タンブラー
・DIRECTORYからart, photo, designなどを辿って適当に良さげなサイトをfollowしてみたところ、まあダッシュボードが素敵なことに。なんだい、ここはオンリー私のための展示会かい?見ることで湧くタイプなので純粋にデザインの仕事をやりたくなります。写真も撮りたいなあ、とか。こういう変化って実は貴重なんじゃないだろうか。
・上位にいるエロ収集家には力強い信念を感じる。
・ちょっとカスタマイズしたいなーとかってなると知識&技術不足に阻まれる。
・ツイッターほど人と絡みたくならない。個人領域。自分の発信が弱いからか。
・ツイッターの連携は切ったけど、読みやすさとしてはダッシュボードの方が圧倒的だった。いっそ「見る」と「読む」でアカウント別にするとか?
・PASTの見せ方、にくい。いっぱいにしたくなる。大事だ。
ダッシュボードでtumblrとツイッターがいっぺんに見れるの便利ー♪と昨日は思ったけどやっぱ邪魔くさくなってきた。目的がちがうからだな。連携切ります。
幼稚園の懇談会デー。
二学期は防災訓練(親は引き取り訓練)、運動会、遠足、園外保育、お遊戯会、クリスマス会、お誕生日会と行事目白押し。
同時にインフルエンザ(型に関わらず)が1人でも出たら即学級閉鎖という方針発表もあり、さて、どれだけの行事が無事に敢行できるのか。
どうか健康に過ごせますよーに。
行きたかったー